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『ムサッシーのブログ』を記載します。


by sportsaid

第5回日本横断「川の道」フットレースを終えて

 5月5日22時01分55秒、最終ランナーのゴールをもって、2009年の日本横断「川の道」フットレースは無事終了しました。信濃川河口・新潟市のゴール地点は、しばらく感動の余韻に覆われていました。
 節目の5回目を迎えた本大会、今年は105名のウルトラランナーがエントリーしてくれました。第1回大会の参加者が4名だったことを思うと、信じられない数字です。やっとこの大会も市民権を得られたようで、素直に嬉しく思います。
 思い起こせば、今から12年前の1997年4月、荒川の河口から源流に向かって走り始めたとき、ふと甲州(山梨県)、武州(埼玉県)、信州(長野県)の三国境に鎮座する甲武信岳によって水の流れが荒川と信濃川(長野県では千曲川)に分けられ、それぞれが太平洋と日本海に行き着くことに気づきました。そして、いつかこれら2つの大河をつないで走る壮大なウルトラマラソンレースを立ち上げようと思い立ったのが「川の道」の始まりでした。それから8年後、我がNPO法人スポーツエイド・ジャパン設立の年に思いが叶い、今こうして多くのランナーが挑んでくれる大会にまで成長してくれことを思うと、感無量の一言です。この大会運営に関わってくれているすべての方々に改めて深謝いたします。

 さて、写真とともに大会をふり返ってみます。
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 この大会は、4月29日の開会式から始まります。会場は東京都文京区にある公共施設。参加された多くの皆さんから「川の道」にかける心意気がひしひしと伝わり、私も否が応でも気分が高揚してきます。
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 翌30日、スタート地点の葛西臨海公園駅前に日本横断ステージ参加者51名(1名が残念ながらキャンセル)、荒川~千曲川ステージ参加者22名が揃いました。天気も上々、ランナーの顔は一様に輝いています。午前9時、「川の道」の長い道程の第一歩を踏み出しました。
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 スタートして約1km、太平洋(東京湾)を眺望できるところに出ます。毎回、ここで一時停止して記念写真。日本横断ステージを走るランナーには、是が非でもゴールの日本海まで走りぬいてくれることを願わずにはいられません。

 この大会は1ステージレースではありますが、途中、日本横断ステージ(以下、フル)は3ヶ所、荒川~千曲川ステージ(以下、前半ハーフ)、千曲川~信濃川ステージ(以下、後半ハーフ)はそれぞれ1ヶ所のレストポイントで休憩をとることが義務づけられています。本レースが超長丁場の割りに完走率が高いのは、このルールがあるからこそと思っています。実際、今回の完走率もフルが72.9%、前半ハーフが63.9%、後半ハーフに至っては83.9%に昇ります。

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 最初のレストポイントは、約170km地点にある秩父市「こまどり荘」。ランナーはここで入浴、食事、睡眠をとります。そして、心身のリフレッシュを図り、本レース最大の難所「三国峠越え」に挑みます。

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 約中間地点の長野県小諸市「グランドキャッスルホテル」がフルの第2レストポイント&前半ハーフのゴールになります。今回トップで入ってきたのは、フル連覇中の吉岡敦選手。前半ハーフトップの初参加・岩下智博選手は30歳代前半の若さ。若いランナーの超々長距離走への参戦、とても良い傾向です。岩下選手、よくはやる気持ちを抑えて好走しました。おめでとうございます。同じく女子トップでフィニッシュした郷亜紀子選手も30歳代前半です。なお、郷選手はゴール後、スタッフに変身し、最終日まで昼夜を問わず、懸命にランナーのサポートにあたりました。彼女の強さと人を慈しむ姿に心を打たれました。ご苦労さまでした。
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 「小諸グランドキャッスルホテル」は後半ハーフのスタート地点でもあります。フルのランナーがすべて日本海に向かって旅立った後の5月3日11時、31名のランナーが後を追いかけるようにスタートしました。
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 コースはこの後、7年に1度のご開帳で賑わう長野市「善光寺」をめぐり、国道18号線から117号線へと進みます。明るいうちに117号線に入ったランナーは、千曲川の滔滔たる流れ、飯山市の菜の花ロードの景観に目を瞠ったことでしょう。やがて、コースは県境を越え、千曲川は信濃川と名を変えます。
 次のレストポイントは豪雪地帯としても名を知られている新潟県津南町「深雪会館」。ここでは、津南町出身の「かおちゃん」がスタッフとして奮闘してくれました。「かおちゃん」の口利きで地元新聞社の取材も受けました。「かおちゃん」の存在はとても心強かったです。

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 本レースもいよいよ大詰め。新潟市「道の駅・ふるさと村」から信濃川土手の道路に入ると日本海は間近です。そして「ここが日本海」。長い旅路の果てに広がる日本海を目にしたランナーの一言では言い表せない、さまざまな思いが入り混じった感情を、第1回大会で何とか完走した私にはおよそ想像がつきます。
 ゴールはここから引き返し、4kmほど先の「ホンマ健康ランド」。ゴールでは、いつもながら多くの感動をいただきます。今年は何度も泣けてしまいました。

 フルを制したのは、何と藤原定子選手。女子のこのステージ総合1位はもちろん初めてですが、彼女は過去に前半ハーフ、後半ハーフでも総合1位に輝いているので、これで「川の道」全ステージ制覇の偉業をやってのけたことになります。彼女は「雁坂峠越え秩父往還走」でも無類の強さを誇っており(現在、女子の部8戦全勝中)、「雁坂の女傑」という異名をもっているのですが、もう一つ異名が加わりそうです。
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 2位は昨年、一昨年と連覇中の吉岡敦選手(No.9)でした。3連覇達成に燃えていた吉岡選手は「さくらみちネイチャーラン」を4位で走り終えて間もなく、万全の体調でないにもかかわらず、第3レストポイントである津南町(394km地点)までトップを他に譲ることなく、いいペースできていました。が、その後は50分ほど遅れて津南入りした藤原選手と並走するようになっていました。私は2人のしっかりした足取りをみて、お互いに刺激し合い、励まし合うことによって、片や3連覇、片や全ステージ制覇という偉業を、それも大幅な大会記録更新のおまけつきで達成し、節目の5回大会に花を添えて欲しいと願いました。しかし、ゴールまで残り15kmとなったあたりで藤原選手から「吉岡さんが、もう自分は限界だから先に行くようにと言うんです」と涙声の電話がありました。私は何としても同時ゴールを、と願っていたので、吉岡選手に電話に出るようにと促したのですが、彼は応じません。私はすぐに彼の心境を計り知ることができました。彼のランナーとしてのプライドと潔さに胸が熱くなりました。彼は藤原選手の方が自分より余力が残っていることを悟り、彼女とともに1位になることを良しとしなかったのです。自分は潔く2位になることを選択したのだと思います。吉岡選手は彼女から約1時間遅れてのゴールでしたが、表情は実に清々しかったように思えました。私は最初のゴールシーンで、いきなり藤原選手、吉岡選手から感動をもらってしまいました。
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 初参加の小松和哉選手のゴールも泣けてしまいました。若い小松選手(36歳:No.59)は初日のオーバーペースがたたり、第2レストポイントの小諸グランドキャッスルホテルに大きく順位を落とし、フラフラになって到着しました。しばしの休息で幾分持ち直したものの、これから先の長さを考えると予断を許さない状況にあるように思われました。それでも、「言われた通り、ここからはゆっくり行きますよ」と明るく答えてコースに戻りました。それから長い時間が経過し、制限時間が迫った5日午後8時過ぎ、ゴール前の直線に彼の姿を認めました。最後は走っています。目に熱いものが溢れて、思わず大声で「コマツー、コマツー」と叫んでしまいました。ゴールで待っている私のところまできてくれた彼は、きっと私との暗黙の約束を果たそうと頑張りぬいたのだと私は思いたいです。彼は大会参加にあたってのコメントで「この大会の参加者の完走記を読み、感動しました。そして、是非自分も参加したいと思いました」と述べています。小松選手は、今度は人に感動を与えてくれました。
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 70歳という年齢で、見事520kmを走りぬいた吉田則明選手(No.81)。昨年は小諸止まりで、今年は善光寺参りができれば充分と言いながらのリベンジでした。後半ハーフを完走した64歳の伊藤勝男選手もそうでしたが、ゴールで抱きかかえたとき、体躯が異様に軽かった感触が今も残っています。2人とも、それこそ身を削ってゴールまできてくれたのだと思うと、ありがたくて、また泣けてしまいました。後半ハーフで優勝した早川勇選手(No.226)の嬉しそうな顔も、森田浩選手(No.230)の涙のゴールも忘れられません。ほか、ともに「川の道」を旅したランナー一人ひとりと交わした言葉、受けた感動はしっかりと脳裏に刻まれています。ありがとうございました。
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 そうこうしているうちに、制限時間の21時を回りました。が、1人のランナーが戻ってきておりません。リタイヤしたかも知れないと思っていたところ、何とゴールを目指しているという。副実行委員長の太田が直ちにコースを逆走し、最終ランナーと合流。そしてフィナーレ。ゴールテープを持った藤原定子選手は、感極まって号泣してしまいました。私たちのチームメイトでもある最終ランナーの身を心から案じていたのでしょう。人のために尽くし、人のために涙を流す。人間でなければできない崇高な行為です。思わずもらい泣きして、涙を拭う太田の姿も印象的でした。

 「川の道」の終着駅・新潟市に夜のとばりがすっかりおろされ、2009年の「川の道」フットレースも穏やかに幕をおろしました。疲れは極致に近いものがあったけど、ほぼ満足のいく運営ができたという充足感に包まれていました。これも私とともに大会運営に、そしてランナーのサポートにあたってくれたスタッフがいたからこそです。副実行委員長としていつも「しんがり」を固めてくれた太田実理事、同じく副実行委員長として私をフォローしてくれた柳澤健一理事、常日頃から女房役として私を支えてくれている木下副代表理事、人が嫌がる仕事も進んで引き受けてくれる吉田秀雄理事、本大会のサポートを申し出てくれ、それこそ身を粉にして働いてくれた舟橋徹さん、加藤恵美さん、真後亘さんとかおりさん、松本茂雄さん、勝野純子さん、大井川理恵子さん、鳥居美子さん、大澤文さん、秋葉香さん、中村哲子さん、そしてゴール後、スタッフに転じてくれた郷亜紀子さん、坂井敏さん、藤原定子さん、第1エイドステーションをサポートしてくれた彩湖ランニングクラブの皆様、第3エイドステーションをサポートしてくれた島田利治さん、林博之さん、渡辺健二さん、猿谷愛子さんに心から深謝申し上げます。
 そして、今年も多くの方が私設エイドを出してくれました。「川の道」を応援してくれる方が年々増えてきてくれて、本当に嬉しい限りです。我がクラブ員でもある「素浪人」さん、さいたま市の佐藤吉雄さんグループの方々、難所「三国峠」を下った長野県川上村梓山でエイドを出してくれた千葉県市川市の竹内洋子さんグループの方々、毎年、無コンビニ地帯でエイドを出してくれている長野県佐久市在住のパラリンピック日本代表選手・保科清さんご夫妻、そして寝床、新潟の銘酒まで用意してランナーをもてなしてくれている小千谷市の和田武次さん、ゴールに駆けつけてくれた地元・新潟市の酒井正昭さん、武井槇次さん、それから私たちの知らないところでランナーのお世話をしていただいた皆さん、本当にありがとうございました。少ないスタッフで切り盛りしているこの大会は、皆さんのおかげで続けられているとも言えます。この場を借りて厚くお礼申し上げます。
 それから、第6チェックポイントである埼玉県寄居町・東武東上線玉淀駅長様。粋な計らいがあったことをランナーからのメールで初めて知りました。駅の入口に掲げてあった「フットレースの皆さんへ。電気をつけておきますので明るいところですが、ゆっくりお休みください」とのメッセージ、ありがとうございました。予期しないことだっただけに、嬉しくて嬉しくてしようがありません。

 最後に、もうひとつ感じたこと。
 今回の日本横断ステージ総合優勝者にみるように、500km超の距離における女子の強さに驚きました。藤原選手はゴール後も至って元気で、わずかな睡眠をとった後、最後までランナーのサポートにあたっています。藤原選手に続いた女子選手もほとんど全員、とても520kmを走ってきたとは思えないほど元気なのです。対して、男子ランナーはどうでしょう。申し訳ないのですが、押しなべて「ボロボロ状態」のように見受けられました。もともと筋肉が柔らかい、痛みに強いという、女性の特性が男性の運動能力の高さを上回るラインが500kmあたりにあるのかも知れません。もし、そうだとしたら、日本横断ステージに関しては「女子の部」、「男子の部」にわけないと男子がかわいそうかも、なんてことを思いながら、大会をふりかえってみました。
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 「川の道」の旅人たち、「川の道」を支えてくれる素晴らしき仲間たち、また来年、「川の道」でお会いしましょう。(実行委員長 舘山 誠)
by sportsaid | 2009-05-14 19:14